あの日から、早くも5年がたちますが、こちら東京、神奈川は、被害があまり無かったので、歳と共に記憶が薄れないように、当日体験したことを、書きとめておこうと思います。そう言えば、5年前の今日も金曜日。天気は晴れ。それほど寒くは無かったと記憶しています。2011年3月11日の午後2時半過ぎ、Dogwoodは、藤沢事業所の2階の、自分のブース席で、部下のSさんと、仕事の話を始めたその時でした。急に強い揺れを感じたものの、初めは大したことないと、顔を見あわせて笑っていました。しかし、揺れが長く続き、そして強くなったので、これはマズイと思い始めました。そして無意識に、非常階段の扉を開けに走りました。開けた鉄扉から足元を見ると、階段と建物の隙間が、凄い勢いで揺れているのが見えました。これはもしや建物が倒壊するんじゃないかと思い、一瞬、このまま自分だけ外に出て逃げようか、、とも考えました。でも、この時も、まだ深刻な状況になるとは思いもせず、建物の中に戻り、皆に「外に出よう」と、声をかけました。そして皆で外の駐車場に出た時、また強い揺れがきて、立って歩いているのに、まるでめまいを起こしたような感じになり、しゃがみこんでしまいました。ここで初めて、「これは大変なことになるな」と、凄く嫌な気持ちになったのを覚えています。この時は、震源地がどこかとか、何も状況が分からず、外に避難した人が見ていた携帯のニュースの画像を、ただ食い入るように見つめていました。家族や、実家が無事であることを確認してから事務所に戻り、インターネットで交通情報を取り、会社にとどまるか、家に帰るかの決断を迫られました。Dogwoodは、池上から湘南台まで、電車を3本乗り継いで通勤していたので、ネットの情報からだと、まず帰れないだろうと思いました。が、それでも帰ることにしました。理由は単純で、「会社にいるのが嫌だから」。当時、上司からパワハラもどきの嫌がらせを受けていたこともあって、とにかく会社から脱出しようと考えた訳であります。じゃあ、手段はどうするか。駅との往復用の自転車が会社においてあるので、これで池上まで4-5時間かけて帰ることもできるけれど、まずはいつもの湘南台駅まで行ってみました。小田急線は、早々に運休を決めていてアウト。相鉄は「現在状況確認中」のため、運行再開は未定とのこと。一旦地下から地上に出て、レンタカー屋とビジネスホテルにも行ってみたけど、どちらも既に満杯でアウト。しかしそれでも、どうしても会社には戻りたくなかった。なので、取り敢えずマックで食料を買って、もう一度相鉄の駅へ行ってみました。すると、今度は、時間は不明だが、運行再開する見込みとのこと。やった!、もう行けるところまで行って、あとは避難所に泊まるか、歩いてでも帰ってやる。相鉄の電車の中で1人マックを食べつつ運行の再開を待ちました。でも、そこからが長かった!結局、相鉄線が運行再開したのは、夜の11時ごろ。電車はノロノロ運転で、横浜に着いたのは、もう日付けが変わって、午前0時を過ぎていたのでした。そこで見た光景が、また忘れられません。
(後編へつづく)