Dogwoodの池上日記

地元大田区池上・蒲田と軽井沢・信濃追分を愛するDogwoodの日々徒然日記。

名古屋の「おっさん」R.I.P

それは、先週日曜日の夜、家で一杯やっていた時のことでした。

 

携帯電話のSMSに突然現れたメッセージは、Dogwoodの大学時代に、同じ研究室だった友人のK氏からのものでした。K氏は、ワタシより2歳年上の同級生。2浪1留、いわゆる「超一流」と呼ばれた、ツワモノ組の一人。背が高くて、オシャレで二枚目、温度で色の変わるメガネ、洋楽好きで、皮肉屋、保谷の自宅から日産マーチで通学&路駐。大学生離れした、近寄り難い雰囲気のK。しかしそこは一流、いや、1留のワタシとはすぐに意気投合する仲に。

そのK氏から、「名古屋のおっさんが、心筋梗塞で亡くなりました。今お通夜へ向かっているところです」という短いメッセージが。

 

誰が亡くなったのか、すぐにわかり、一気に酔いが醒めた。「名古屋のおっさん」というのは、Dogwood、K氏と同じ研究室にいた、やはり2歳年上の同級生S氏の事。ずんぐり体型で、名古屋弁で口が悪い。低い声で、初対面のワタシに「おい、そこのニイちゃん!」だったし。研究室の年下の現役大学院生をパシリにし、中古のスプリンタートレノを乗まわし、卒業旅行で行った福島のホテルの部屋から、いきなりフロントに電話して「若いネエちゃんおるかのぉ?」(周りドン引き)、、こちらも大学生離れした、肝の据わった文字通りの「おっさん」だった。

この「超一流」の2人は、特にウマがあったようで、まるで漫才コンビのような関係。

機械科の溶接研という、地味で全く人気のない研究室だったけれど、この年上2人を中心に、20人ほどいた研究室は、いつも笑いにあふれてた。2人とも威勢は良いのに、受けに回ると、めっぽう弱かったし。

このK氏とS氏、Dogwood、他2人を入れた6人は、研究室の本館から離れた、小さなプレハブ小屋にある、やたらとデカい引張り試験機のそばで、溶接した金属の継手が何万回で破断に至るかを観察するという、罰ゲームのような実験を行なっていました。けれども、真面目に実験に没頭するわけがなく、小屋にTVゲームや漫画や楽器を持ち込んで、皆思い思いに好きな事をやってたっけ。

いつの間にか、他の班の連中も代わる代わる入り浸り、秘密基地状態になっていた。当初からK氏が、S氏を「おっさん」と呼んでいたこともあって、研究室では、いつの間にか皆S氏を、親しみを込めて「おっさん」と呼んでました。

 

ワタシは当時(今も)、成績の悪さにヤル気の無さも加わって、学校推薦をもらった企業にも蹴られまくり、入社試験に16連敗した末、ようやくソニーの子会社に就職が決まったのは、研究室で一番最後、11月の終わり。小屋に行き、「やっと受かったよー」と報告した時、おっさんの一声で、外に連れ出されて皆んなが胴上げしてくれたっけ。

恥ずかしかったけど、忘れられない思い出。その時に着ていた、溶接研お揃いの青いツナギの作業着は、今でも捨てられない思い出の品になっています。

おっさんが一人暮らしの時に使っていた、冷蔵庫と掃除機は、ワタシが寮生活することになり、タダで貰ったものでした。おっさんの部屋に泊まった翌日、車で運んでくれたっけ。ありがとう、おっさん。K氏の結婚式で会ったのが最後になるとは思わなかったよ。

 

弔電を打った後、一人で風呂に入っていたら、おっさんの低い声と口調を思い出して、不謹慎にも笑いが止まらなくなった。

「おい、xx (ワタシの下の名前)!、酒飲んでソファで寝たまま死んじまったぞ!どうしてくれるんじゃ、このボケ!」とか言いそうだもんな。 

おっさんのお通夜にも告別式にも行けなかったけど、棺に溶接研の青いツナギを入れてくれてたらいいな。名古屋のおっさんの早すぎる死に合掌。Rest In Peace.

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