Netflix野武士のグルメお題「ひとり飯」
お題「ひとり飯」について書いてみようと思う。ひとり飯、それは、その名の通り一人で食べるご飯のこと。「ぼっち飯」とも言われるそうであるが、こちらは「ひとりぼっち」という音から、寂しさ、侘しさを連想させる、ネガティブな印象があるのだそう。まあ、自分にとっては、どうでも良い呼び方の違いである。
私は、小さいころから両親が共働きだったせいか、「ひとり飯」には抵抗感が全くない。むしろ、好きな時に一人で食べるのが気楽で好きだった。
夕食は、母親の作り置きがメインだったが、時には自分で考えてコンビーフや、ツナ缶、鰹節を使ってチャーハンを作ったり、レトルトのカレーに溶けるチーズを乗せたり、少しアレンジして食べるのが好きだった。
それがデフォルトだったので、寂しいとか悲しいとか思ったことは無かったし、働きながらも作り置きしてくれる母親には感謝さえしていた。
高校、大学と、バイトをするようになったが、働いた先は何故か全て飲食店だった。ステーキハウス、居酒屋、スパゲティ屋。
まかない飯が出るのが理由だったからだと思うが、どこも個人経営の小さな店だったので、時給は500円台、そこでも「ひとり飯」だった。
自分でまかない飯を作らせてもらったり、新メニューを考えながら作るのは、楽しかった。新メニューに採用された時は嬉しくて、注文してくれた人の反応を厨房から見るのが楽しみだった。
社会人になり、海外に1人で出張する事が多くなって、ひとり飯の舞台が変わっても、寂しさは感じなかった。期待した食事が出てくる確率は下がったが、それも次へのモチベーションになったし、海外に1人で行くと、ひとり飯の人が意外と多い事にに気がつく。そしてそれが不思議とカッコ良く見えたりするのだ。
若い時に「ひとり飯」が、当たり前のように長かったので、たまに友人や、家族全員で食べる食事の方が珍しく、また貴重な時間になっていた。
今、ぼっち飯、ひとり飯が嫌で、トイレの個室にこもって一人で食べる学生や社会人が増えているという。勝手な想像だが、そういう人は小さいころから、家族全員で食事をするのが当たりまえの環境で育った人に多いのではないかと思う時がある。それまでワイワイと集まって食べることに慣れていると、たまに一人になったとたんに、強烈な孤独感、疎外感、または他人の目を必要以上に気にしてしまうのではないだろうか。
そりゃあ、大勢で食べるのは楽しいし、会話も弾む。否定はしない。でも、若いうちに「楽しいひとり飯」も経験しておくと、大人になってからも大丈夫な気がするのだが。「孤独のグルメ」の五郎さんは、ちょっと極端かもしれないけど、一歩踏み出して、「どーも、今日は一人。初めてなんだけどいいかな?ここのおススメは何すか?」から入ればいい。今やネットで下調べはいくらでも出来る時代。お店も、黙って入って黙々と食べてプイッと帰るお客さんよりも温かく迎えてくれるはず。
トイレは出すところであって、お腹に入れるところではない。若い人は、人の目を気にせず、どんどん外に出て「ひとり飯」を楽しんでほしいと思う。
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