大人のための首都圏散策マガジン「散歩の達人」2006年3月号の表紙に、興味深い記事を発見しました。その名も池上線の研究!
中でも”哀愁歌「池上線」は実話だった!?”という記事が秀逸。
タイトル通り東急池上線を舞台に、別れる男女の悲哀を女性の視点から歌った、1976年に発売された西島三重子さんの代表曲。作詞した佐藤順英先生のインタビュー記事。これがまた面白くてね。
成城学園に住んでいたセンセイ、大学生の時にハワイ大学に留学。当時付き合っていたカノジョが池上に住んでいて、疎遠になったのを心配したセンセイは、自分の気持ちをわかってもらおうとカノジョに詩集を送り付けようとした。周りから(それは暗いしヒクぞと)止められたそう。じゃあ、自然にわかってもらうにはなにか?、それは歌だ!と「池上線」を作詞したのだそう。なかなか強烈なキャラのセンセイだ。歌に出てくる「あのフルーツショップ」というのは、池上駅横の現在ケンタッキーフライドチキンの場所にあったお店で、当時は夜遅くまで開いていたのだそう。センセイとカノジョが見たのはこんな景色だったのかも。
西島三重子の他に、森昌子や高山巌など、数十人の歌手がカバーして80万枚を売り上げたヒット曲。しかし、その後センセイは「電車の歌を作れ」とか「池上線の続編を作れ」とか言われ続け「池上線」のイメージが先行してしまったことに嫌気がさした。そして「歌の舞台はどの駅ですか?」と聞かれても、教えてあげなかったのだそう。さらに「当時の池上線は、ボロ電車で床は木製、すきま風がすごかった」だって。そりゃあ、小田急線と比べちゃあねぇ(苦笑)。あ、あとセンセイは独身なんだと。
ちなみにワタシは、この歌が出た頃は中学生。千歳船橋(成城学園の2駅隣)に住み、未来の妻は池上に。リアルタイムでの「池上線」は全く記憶に無く、池上に住むようになってから初めて聴いた歌かもしれません。
そんな隠れた名曲と「池上線は実話だった!」という記事に、いろんな意味で感動したDogwood でありました。「散達」取っておいて良かったぁ。
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