間が空いたので、下の2つの記事から良かったらどうぞ。今回は、以前書いた転職試験の話しの続きです。
1 最初に入った会社のこと
2 転職までの道のり
3 転職した外資系企業での仕事
転職活動を終えて、1997年10月から、神奈川県内の、某外資系企業の日本法人で働くことになりました。家から池上駅までは、自転車で約10分。そこから、蒲田(池上線)->川崎(京浜東北線)->藤沢(東海道線)->湘南台(小田急線)と4路線を乗り継いで、最後は神奈中バスに乗って会社へ通う生活が始まりました。ドア to ドアで、1時間40分の通勤は、電車の乗り換えの階段が多く、慣れるまでには結構かかりました。途中で、横浜から相鉄線1本で、湘南台まで行けるようになったのと、湘南台駅からバスでは無く、自転車を使うようにしたので、10分ほど通勤時間が短くなり、気分的にも少し楽になったものです。
その会社は、当時急速に需要が伸びていた、部品のメーカーで、出勤初日、明らかに年下の社員に、いきなりパソコンの箱を渡され、「じゃあ、自分でセットアップして!ヨロシク!」と言われ、唖然としました。「マジか、、」
今でこそ楽勝ですが、前の会社では、IT担当が全部面倒見てくれたんでね。もう、初日から絶望感の嵐。頭を下げて、やってもらいましたっけ。言われましたよ「えっ、出来ないの?よく、この会社入れたね~」だって。はいはい、スミマセンね、当時は、パソコンなんて使うだけものであって、箱開けたことなんてありません。他にも、タイ工場との英語での電話会議に初めて参加した時、簡単な自己紹介をタイ語でしたところ、これも若い社員から「部長が、タイ語ペラペラの人が入って来るって言ってたけど、たいしたこと無いじゃん」とかね。思うのは自由だけど、そんなことわざわざ聞こえるところで言うかね?
前の会社は、心で思ってても、口に出さないとか、社歴や年齢が下の者は、会議で自分から積極的に発言しない、、という、暗黙の了解、「寡黙は美徳」の文化がありました。(今思うと、少しおかしな文化でしたが、、)
しかし、ここでは「言ったもん勝ち」の世界。会議で黙ってると「あんた何しに会議出てるの?」「意見が無いなら君が全部やってね」と言われるありさま。つまり、「黙ったもん負け」ってやつ。
そのたびに思いました。「人種が違うぞ」と。同じ日本人でも、こうも違うのか!と。この文化に慣れるのがまず大変でした。
その後、この会社は、日本の大企業に買収されてましたが、それもつかの間、再度別の米国企業に買収されるという、ドタバタを経験しています。
それでも、日本企業で11年、外資系企業で19年サラリーマン生活を続けてきて、そろそろゴールが見えてきたように思います。私Dogwoodの独断と偏見で、外資系企業の良かった点、良くなかった点を纏めてみました。異論反論はあるかもしれませんが、あくまでも個人的な意見ですので、その点はご了承下さい。まあ、どうでも良い事なので。
(良かった点)
給料が高い。
休みが自由に取れる。
タイムカードが無い。自己申告制。
役職をつけて呼ばない。上司も部下も、幹部も社長も、皆「さん」付け。
職場は半個室のブース席。プライバシーが保たれる。
年賀状、お中元、お歳暮類等のやり取りが全くない。
飲み会は、役職、年齢に関係なく一律同額制。
(良くなかった点)
福利厚生が良くない。
悪い意味で結果主義。それまでの頑張った過程は評価されない。
リストラが頻繁にある。精神的に病む社員多し。
ボーナスが無い。(月給に分配されただけだけど、、)
隣の人の電話は絶対取らない。
部署や人にもよるけれど、「わび・さび」を美徳とする日本的スタイルは、通用しないというか、存在しません。残業時間が多いことを自慢する人って、前の会社には結構いたけれど、ここでは「時間内に仕事を終わらせる能力が無い」と判断されるだけ。休日に出勤するような人は「家庭に問題がある」とまで言われる始末。大きなお世話だろ。時と場合に寄るんだよ。
外資系だから英語が出来るのは当たり前と思われがちですが、全く出来ない人も沢山います。どっちが良かったか?一言で言うと、肉体的に疲れたのは前の会社。精神的に疲れるのは、今の会社かな。
まあ、両極端な会社でのサラリーマン人生を経験出来たのは、とても良かったと思っています。