今週月曜日(2月11日)のブログに書いた「大田区観光案内図の謎?」の記事
「五重塔の完成した年は 1607年か1608年か?」について、いくつかコメントを頂きました。読んで頂きありがとうございました。でも中には、
「細かいこと言うな」「お前もヒマだな」なども。おいおい(笑)まぁ予想の範囲内でしたが。
承認制につき、ネガコメは一切載せないので悪しからず。IPはしっかり頂きましたぜ。
それでも、こんな建設的でありがたいコメントも。
文化庁の「国指定文化財等データベース」を調べて頂いたようです。
「アドビのイラストレーター」さん、ありがとうございました。
記事を書いた手前、Dogwoodも少し調べてみました。
確かに、文化庁のデータベースでは1607年となっています。
「桃山時代」って合ってるのかな?まっ、いっか文化庁だし。
Dogwoodが以前、本門寺の霊宝殿で買った「撮された戦前の本門寺」という資料(P18)には、明治時代中期に撮られた、鼓楼(昭和20年焼失)と五重塔のカラー写真がありました。
その下には、こんな説明書きがあります。
字ちっさ~。
ハズキルーペ、いや虫メガネ持ってきます。
そこには「五重塔は慶長13年(1608)に仁王門北東側に建立され、、とあります。つまり実物の五重塔前にある看板と同じ文言。
最後に池上本門寺のホームページにある「境内案内」から、五重塔の解説文を見てみると、なんとそこには、、、
慶長12年(1607)に建立(露盤銘)、翌13年に上棟式を厳修した(棟札銘・焼失)とあります。
うーん、1607年説も1608年説もあるようだ。どれが正しいか分かんなくなってきた。
でも悩むことではありません。結局のところ、五重塔が完成した年については
「諸説あり」
をつければよろしいかと。2/11のブログ「観光案内図の誤植では?」は訂正させて頂きます。お詫びはしません。
繰り返しますが、完成年が1年違ったところで、誰が困るわけでもないし、試験に出るものでもなし。東京大空襲でも焼失しなかったパワースポット、五重塔の「いま」の雄姿を見て楽しんで頂ければと思います。
大正時代の五重塔
お立ちより頂き、ありがとうございます。以下のブログ村に登録しています。良ろしかったらポチっとお願いします。