今日は日曜日だからといって、ビューティフル・サンデーのお兄さんの話ではありません(あちらは田中星児さん!)、元第29代日本スーパーフライ級王者、田中聖二選手のことを。
といっても、つい最近までは「そんな選手いたっけ?」程度だったのです。もとをただせば、先週のある日、元WBA世界スーパーフライ級王者 名城信男選手の特集動画を見たのが始まり。そのユーチューブがこちら。「名城信男 世界チャンピオンへの道のり」。再現ドラマを交えて名城選手が世界王者につくまでを追ったドキュメンタリー。
先の田中聖二選手は、名城選手と同じ大阪市内のジムで合同練習をする仲で、名城が悩んでいた時にアドバイスをしたことも。それが2005年4月3日、田中が持つ日本タイトルに名城が臨むという、運命の巡り合わせが。田中もこれが初防衛戦であり、しかもその年の1月に結婚したばかり。どちらも負けられない試合だったのです。
予想通りの激しい打ち合いの末、最終10ラウンドにレフェリーが試合を止めて名城が勝利。番組では、その時の試合写真が紹介されていました。
試合終了後、田中は名城に「やっぱり強かったよ」と言い、お互いに握手し健闘を称えあった。田中はそのまま自分の足で歩き控え室まで戻ったが、その後、意識を失い緊急入院。搬送先の病院で急性硬膜下血腫と診断され、開頭手術を受けるも、意識を取り戻すことなく2005年4月15日に死亡してしまう。新王者になった名城選手は、田中の死のショックでボクシングが怖くなり、1か月間自宅に引きこもってしまう。(リアル「あしたのジョー」のようだ)
しかしある日、田中選手の父親から励まされて立ち直り、苦難を乗り越えて世界王座についたという、感動の実話でありました。
ふーん、ええ話やないかい、、って、、
ん?そういえば、、
もしや!あの時のアレか?
ビンゴ!
15年前、たまたま買ったボクシングマガジン2005年6月号の中に、その当時「なんで?」と思った記事があったのを、急に思い出したのでありました。
見開き2ページに「安らかに眠れ」のタイトルと、ベルトを肩にかけた写真。田中選手の追悼記事を、当時は全く気にも止めていなかったのに、何故か不思議と心に残っていたんですね。物置き部屋を探しましたぜ。
それがこれ。ボクシングは、ごくたまに不幸なリング禍が起きる競技。日本タイトル戦で、しかも試合後に王者が亡くなるというショッキングな出来事。それでも、世界王者ならまだしも、初防衛に失敗した日本人選手の記事にしては、異例の扱いに見えたのかもしれません。
でも15年ぶりに読み返して納得しました。
それは、生前の田中聖二と親交のあった記者が書いた追悼記事。写真もその記者が撮ったもので、記者と選手の関係や思い入れが、ひしひしと伝わる内容でした。
日本王者になる前の田中選手に、「君が勝てないのには、何かが足りないのではないか、、」と厳しいことを言ったのを悔やんでいた記者。
田中選手に向けた最後の7、8行が、今更ながら心に染みるものでした。
以下、まま転記。
「チャンピオン、どうかあの日の高言を許してください。田中聖二。
どうか安らかに眠ってください。
祭壇の遺影はプライベートなものでした。「カレーライスが好きなんです」たったそれだけの話を、田中はずいぶんと照れながら話してくれたものです。
28歳の青年の死に対して、心より哀悼の意を表します。さようなら、田中聖二。」
生きていれば、今43歳か。世界王者になった名城選手の影に、こんな壮絶な人生ドラマがあったのを、今さらながら知ったDogwood でありました。
元日本スーパーフライ級チャンピオン、田中聖二さんに合掌。
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